令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.157
「この声は、誰に届くのか」
令和6年(2024年)能登半島地震から2年半。表向きには落ち着きを取り戻したように見える能登だが、被災地の現実は静かに、見えにくく、そして確実に悪化している。七尾市では、仮設住宅の次の住まいとなる復興住宅の申込みは、去年の12月にすでに締め切られた。しかし、希望する地域に住めない、ペットが不可、高齢者が生活圏を離れざるを得ない、仲の良かった人と離れ離れになるなど、制度と現実のズレが深刻化している。住民の「心の復興」と制度が進める「現実の復興」の間にも、大きな隔たりが生まれている。
今回、被災地NGO恊働センターから応援要請を受けて能登に訪れた。私は、中島第一団地仮設住宅の集会所で、よく将棋やオセロが好きな住民の方々と時間を過ごしている。その中のお一人であるAさんは、いつも仮設住宅の中で仲良くされていたBさんが体調を崩され、付きっきりで病院までの送迎や、食事の準備から調理までしていたという。そのため、しばらく将棋を指す気力もなかったという。10日ぶりに盤を挟んだその日は、大きな声を上げて笑いながら、駒を進めた。しかし、その笑顔の裏側には深刻な現実があった。睡眠薬を飲んでも1時間ほどしか眠れない。足はむくみ、CPAPをつけなければ無呼吸になってしまう。体を横にして寝ることができず、仮設住宅の狭さが体調悪化に拍車をかけていた。
お宅にあがらせてもらい、お茶を飲みながら話すうちに、次々と課題が浮かび上がってきた。体調を心配すると、Aさんは笑いながらも「心配せんでも、いつかみんな死ぬから」そして口々に「疲れた」と漏らした。
さらに話題は、復興住宅へ移る際の話になった。仮設住宅の備品であるIHもカーテンも次の住まいには持っていけず、壊れている箇所があれば弁償しなければならない。わざわざチェックしに来る人もいるという。「被災者を馬鹿にしとるんか」Aさんは強い憤りをにじませたが、その表情にはあきらめの色も混じっていたように感じた。
能登の各市町村で方法や制度は異なるが、共通しているのは、一人ひとりの状況がまったく違うにもかかわらず、「平等」という名のもとに一列に並べようとする仕組みである。公平・平等は本来、人を守るための原則のはずである。だが時にそれは、弱い立場の人をさらに追い詰める「悪魔」にもなる。行政が個別対応に限界を抱えるのは理解できる。だからこそ、一人ひとりの声を聴き、寄り添い、隙間を埋める存在であるボランティアの役割が、いままさに問われている。
Aさんは最後に、私にこう言った。
「この頭はなんのためにあるんや。フィリピンかミャンマーか知らんけど、能登も大変やぞ」
何のための仕組みなのか。誰のための復興なのか。平等とは一体何なのか。
私は返答に詰まり、胸の奥に重いモヤモヤだけが残った。「頑張ってくれよ」と言われても、「はい、頑張ります」とも言えない。何を、どのように頑張れば、この人は救われるのか。分からなかった。
「俺らが言うより、あんたが言わないと、変わらない。市に行っても、上司に確認してきます。それは、できません。この繰り返しや」
私は、このAさんの声を聞いた以上、聞いただけにすることは、無視であったり、見て見ぬふりをしたりすることと同じだ。足湯ボランティアでも、様々なお話「つぶやき」を耳にする。そのどれもがすぐに解決できないものばかりだ。
だから、聞くだけでも吐いてもらうだけでも、その人の心が楽になると思い込むようにしていた。それは、支援者として自分が楽になるための解釈だったのかもしれない。もちろん、聞いてくれただけで、楽になる人もいる
が、今回の場合は「結果を待っているよ」と言われた。この住民さんが待っている「結果」とは、なになのか?精一杯頑張って市を説得するように掛け合いましたが、だめでした。そのような過程の報告ではないと思う。
一人ひとりの「声」を大事にすることに、代弁することに、改めて責任と重圧を痛感した。まだ何も動けていないのに、すでにモヤモヤとした無力感が押し寄せてくる。こうして、このようなことを綴っていること自体、情けなくも感じる。CODEの職員として4年目を迎えるが、阪神・淡路大震災から恊働センターとCODEが大切に
してきたことの意味、その難しさに、私はまだスタートラインにも立てていないのかもしれない。
ちなみに、ここまで読んでしまった方々は、もう「見て見ぬふり」はできないと思う。 支援は一人ではできないし、変えることも一人ではできない。 だから、読んでくださったあなたも、すでに私が勝手ながら巻き込んだ。半分冗談ですが、Aさんの言葉を聞いた以上読んだ以上、一緒に悩みながら、できることを探していけたら心強い。
(山村太一)







